熊手かき

読書好きの日常

子を持つ親として『チェンジリング』を観て

 独身の頃『チェンジリング』を観た。母親の愛に感銘を受けたのを覚えている。胸がつらくなるからもう観ないと思っていた。たっくんが産まれて、たっくんには「知らない人にはついて行かないこと」「手を離すと知らない人に連れていかれるかもしれないこと」を教えた。それでも手を離しちゃうことがあって困る時もある。

 今日、今観たらどうなんだろう?と思って『チェンジリング』を観てみた。たまらなかった。怖かった。胸に迫る感じがあの時とは全く違う。自分が同じ立場だったら、あんなに強くいられただろうか、希望を持って過ごすことができただろうかと思った。もちろん、今なら骨から誰かを知ることは出来る。もっと残酷な現実を突きつけられたと思う。でも、生きているとあんなに強く思えただろうか?わからない。必死に探すだろうけど、心が折れてしまわないか?そんな気もする。自分の子はわかる。遠くてもわかる。半年なんてあっという間だ。変化なんてない。たとえ、たっくんが強いストレスの中にいたとしてもきっとわかる。それだけは自信がある。

 母は強いんだ。子どものためなら強くなれる。犯人が許せない。冷静だったクリスティンが相対した犯人を前にして怒りを表す姿は心に残った。子どもの死を目の前にして冷静でいられるわけがない。逆に言えば、何があっても彼女は息子が生きていることを信じているということになる。だから、冷静でいられた。信じる力も強い。

 『チェンジリング』はもう観ないだろう。辛い映画から恐怖映画に変わった。もちろん、クリスティンが信じ続ける終わりは好きだけど、それまでがもたない。殺戮シーンがわたしにはどんなホラーよりも怖い。今、たっくんがそばにいる生活のしあわせを味わおうと思う。