熊手かき

読書好きの日常

『毒母ですが、なにか』を読んで

 面白かった!久しぶりに早く読みたい!となった作品でした。ずっとりつ子視点で書かれていて、りつ子に感情移入して、なんか、毒母なはずなのにりつ子の想いは妥当なのでは?と思ってしまう一瞬があって怖い。わたし的には迪彦の立場に憧れるけどな。親的には彼が大正解なんだけど、なんだろう、りつ子を否定しきれないんだ。毒母なのに。だから、りつ子は最後ああ言う決心をするんだろうな。最後まで読んだ人にしかわからない仕掛け。そうか、わたしは読まされてしまったんだ。そして、少しは共感してしまったんだ。

 歪だ。りつ子は捻くれてる。生まれもあると思う。境遇もあると思う。だからこそ歪になってしまったんだろう。幸せを知っていたはずなのに、その後の境遇が振り幅凄すぎてぶっ飛んだんだろう。当たり前の幸せを幸せだと思えなくなった。迪彦とだって最初は打算だったけど、本当に愛した人だったんじゃないの?絡め取られた人生は方向転換はできなくなってしまった。可哀想な人だと思う。彼女は両親とともに一度死んでしまったとも言えるんだろう。

 子どもを持つ親としては、こういう親にはなるまいと思わずにはいられない。作品とか平気で言える親にはなりたくない。子どもの人生は子どものものだ。親はあくまでそれを支えるだけ。確かに、良い人生を歩んでくれよとは思う。間違いない道があるとしたらそこを歩いて欲しいと思うのは親心だ。でも、それを強要するのは正しくないと思う。「失敗したらあなたのせい」とは言えないのが親だ。難しい。だからといってりつ子のように全てをレールに乗せるのは間違いだ。「あなたのためを思って」は難しい。

 毒親。よく聞くフレーズ。子どもにとって毒でも、親には親なりの愛情がある。りつ子にもそれがあった。ただ、子どもと歩調が合わなかっただけ。いや、実際に毒親に育てられた人にこんなこと言ったら怒られるね。でも、りつ子にはりつ子の愛情があったと思う。我が子だってただ、ただ可愛いだけじゃないこともある。他人だからね。言えることは、我が子をありのまま受け入れることの大事さだと思う。もちろん、ダメなことはダメだけど、それ以外は受け入れようと思った。親になる人、親である人は読んでみたらいいと思う。愛情は乖離することもある。それを知るだけでも十分勉強になると思った。大事にしたい1冊。