熊手かき

読書好きの日常

バズカット

 バズカットに憧れがある。うちの母親はベリーショートだ。昔、同じ美容院にお願いしている時、同じくらいの長さにできないか聞いたら、わたしは生え癖があってお勧めできないと言われた。今は下の方だけベリーショートにして、上の方は長めのショートカット。ハサミで切ってもらってるけど、本当はバリカンで刈って欲しい。旦那にはタラちゃんカットと言われている。旦那にはおかっぱくらいの長さにして欲しいと言われている。でも、譲れない。なぜかって、わたしはバズカットにしたいから!今度美容師さんに相談してみようと思う。

 わたしは女性らしいというのが苦手だ。中性的になりたい。髪をのばしていた時もあるけど、頼まれたから。ちょっと楽しかったけど、本当はショートが好き。だから、バズカットやってみたい!

ネットスーパーが難しい

 ネットスーパー。重いものを持ってきてもらえる強い味方。最近ネットスーパーを使っている。でも、カード払いがきついので、必要最低限のものを買ってる感じ。わたしと旦那で交互に注文。旦那が買う時はカード払い。

 と言うわけで、旦那にネットスーパーを利用してもらった。ヨーカドーのネットスーパー。何を買ったか確認したら、夕食のおかずがない。おつまみみたいな冷凍食品ばかり。ちょっと待てー!まぁ、自分のお金だからいいけど、どうなの?肉や野菜、魚が入ってない。ガーン、買いなおしじゃん。

 仕方ないので、マルエツネットスーパーで4日分の夕飯を調達。いや、ヨーカドーのネットスーパーだと旦那のお金になっちゃうから。西友でもいいんだけど、一定額買うと送料無料は優しいよね。プライベートブランドがあるネットスーパーはちょっとお得。でも、プライベートブランド以外が出てこないことがあって困る。いや、いいんだけど、ヨーカドーネットスーパーでドレッシング買おうとしたら、プライベートブランド品しか出てこなかったんだもん。キューピーのドレッシングが良かったのに。

 というわけで、ネットスーパーは欲しい日に手に入るか微妙なところはあるけれど、楽ちん。献立決めるの大変だけど、余計なものは買わないね。

お布団にまつわる難問

 うちはダブルの布団で3人で寝ている。旦那、たっくん、わたしと並んでいる。たっくんは動き回るので、わたしが小さくなって寝ていることが多い。わたしは、壁際なので落ちることがない。だが、旦那は落ちてしまうことが多い。「2人で寄ってくるから、寝るところがない!」って怒られることも少なくない。だから、昼寝は1人でしたいと言う。

 でも、たっくんがお昼寝しちゃうとなんとなくわたしもお布団に行きたくて、お布団に潜り込む。「1人で寝たいのに!」と旦那は大騒ぎ。そして旦那はまた狭い空間で横になる。エンドレス、狭い空間。3人雑魚寝はもう狭いのかな?と言って、たっくんの布団が用意できるほどの広さはない。難問。

 今日も朝から怒られる。わたしも狭いところで寝てるんだけどなー。これから、どうしよう?たっくん大きくなるし。お布団問題は解決しない。

本を読まない旦那が本を選ぶ

 旦那は本を読まない。文章をうまく書くために本を読もうかなと思うくらい。でも、実際には読まない。『残穢』を貸したらカバンに入れるだけで読んだ様子もないので回収した。わたしは本を読む旦那が欲しかった。『眼球譚』を読んでいたら「これも面白いよ」と本を勧めてもらって出会うのが夢だったくらい。そんな出会いを求めて図書館に入り浸ったくらい。でも、現実は厳しい。

 講談社文庫ミステリーフェアをやっている。対象の本を買うとよむーくポーチがもらえる。文庫本が入るポーチ。文庫本はカバンの中でページが開いて折れたりするので助かる。ぜひ欲しい!そこで思った。自分が探している間は自分の好きな本しか選ばない。偏りが出る。なら、自分ではない人に選んでもらったら?と。しかも、本を読まない旦那に選ばせたら面白いのではと。早速頼んだ。初日は「持ってるって言われたら嫌だから買ってこなかった」と言ってきた。なんだよ!どの本も新装版だし、新装版じゃないのは持っていても構わない本だし、文句を言わないから買ってきて!と頼んだ。

 次の日、ポーチと一緒に持ってきた本は『罪の声』だった。これは前から気になっていた本、やるな、旦那!「池井戸潤と迷ったんだけどね」と言っていた。池井戸潤東野圭吾だったら「有名だもんね」と言っていたと思う。ネームバリューで買ったでしょ?って。なんでこの本かは聞いてない。謎のままでいい。今度はナツイチとか新潮文庫の夏の100冊とか買ってきてもらおうかな?謎のチョイスを楽しもうかな?

 旦那は本を読まない。そんなわたしの将来の夢はたっくんと本を勧め合うこと。そんな日が来るといいな。

おうちに帰りたい

 たっくんは義妹ちゃんが好きだ。というか、義妹ちゃんがたっくんのことが好きだった。月何回もうちにやってきてたっくんと遊んでいた。姪っ子たちに淡白なわたしには理解できない行動。あんまり構いすぎるから、正直微妙な気持ちだった。

 そんな義妹ちゃんに子どもが産まれた。晴れて母親になった義妹ちゃんは我が子から離れない。嬉しいんだね、よかったねと思った。姪っ子に淡白なわたしは、義妹ちゃんの産んだ子にも淡白。旦那は抱っこしてたけど、わたしは抱っこしたいと思わない。いや、人の子だし。

 先月、たっくんが義実家に泊まりに行った。楽しみにしていたから送り出した。そしたら夜になって電話がかかってきた。「ママに会いたい」と言って泣いてる。義妹ちゃんのところは全員出来てるから寂しくなったのかな?嬉しいけど、戸惑う。今まではなんともなかったのに。結局、たっくんは帰ってきた。今度はそういうことがないようにと、昨日、頑張ってわたしも義実家に泊まりに行くことにした。そしたら夜、なんだか様子がおかしいたっくん。「どうしたの?」と聞いたら「おうちにいる怪獣に会いたい」と泣き出す。え、怪獣?1時間近く説得するも泣くので、結局帰ってきた。

 今日よくよく聞いたら、今まで義妹ちゃんの1番だったのがそうじゃないのが寂しいらしく。そりゃ、自分の子の方が可愛いよ。大人はそう思えるけど、子どものたっくんにはわからないよね。今まで当たり前だったものがなくなったんだもんね。しばらくは日帰りで遊びに行くだけにしようと思います。たっくんももう少し大きくなったらわかってくれるかな?

『毒母ですが、なにか』を読んで

 面白かった!久しぶりに早く読みたい!となった作品でした。ずっとりつ子視点で書かれていて、りつ子に感情移入して、なんか、毒母なはずなのにりつ子の想いは妥当なのでは?と思ってしまう一瞬があって怖い。わたし的には迪彦の立場に憧れるけどな。親的には彼が大正解なんだけど、なんだろう、りつ子を否定しきれないんだ。毒母なのに。だから、りつ子は最後ああ言う決心をするんだろうな。最後まで読んだ人にしかわからない仕掛け。そうか、わたしは読まされてしまったんだ。そして、少しは共感してしまったんだ。

 歪だ。りつ子は捻くれてる。生まれもあると思う。境遇もあると思う。だからこそ歪になってしまったんだろう。幸せを知っていたはずなのに、その後の境遇が振り幅凄すぎてぶっ飛んだんだろう。当たり前の幸せを幸せだと思えなくなった。迪彦とだって最初は打算だったけど、本当に愛した人だったんじゃないの?絡め取られた人生は方向転換はできなくなってしまった。可哀想な人だと思う。彼女は両親とともに一度死んでしまったとも言えるんだろう。

 子どもを持つ親としては、こういう親にはなるまいと思わずにはいられない。作品とか平気で言える親にはなりたくない。子どもの人生は子どものものだ。親はあくまでそれを支えるだけ。確かに、良い人生を歩んでくれよとは思う。間違いない道があるとしたらそこを歩いて欲しいと思うのは親心だ。でも、それを強要するのは正しくないと思う。「失敗したらあなたのせい」とは言えないのが親だ。難しい。だからといってりつ子のように全てをレールに乗せるのは間違いだ。「あなたのためを思って」は難しい。

 毒親。よく聞くフレーズ。子どもにとって毒でも、親には親なりの愛情がある。りつ子にもそれがあった。ただ、子どもと歩調が合わなかっただけ。いや、実際に毒親に育てられた人にこんなこと言ったら怒られるね。でも、りつ子にはりつ子の愛情があったと思う。我が子だってただ、ただ可愛いだけじゃないこともある。他人だからね。言えることは、我が子をありのまま受け入れることの大事さだと思う。もちろん、ダメなことはダメだけど、それ以外は受け入れようと思った。親になる人、親である人は読んでみたらいいと思う。愛情は乖離することもある。それを知るだけでも十分勉強になると思った。大事にしたい1冊。

両親が帰る

 両親が帰った。今生の別れじゃないって言っても寂しい。朝、たっくんに「お見送りに行く?」って聞いたら「行く」って言ったのに、「保育園に行く」って言ったので、保育園に連れて行った。保育園に行く前に「ギューしてもらいな」って言ったら、ババにぎゅーしてもらったら涙目で「ジジにはしない」と言った。寂しいらしい。結局最後にジジにバイバイ言ったらハグされていた。

 わたしと旦那でお見送り。ホームまで行こうと思ったら、「ここでいいから」と改札前で見送ることになった。笑顔で見送ったけど、別れたら涙が出た。仕方ないよね。とりあえず、3ヶ月後に母親が通院のために来る。その時に一緒に来て欲しいらしいので、会えるのかと思う。

 その後、ゴジラ・ストア行って、東京戻ってお買い物して帰った。別れは辛い。